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温山会宮崎県北支部総会開催報告

更新日:2016年3月4日

宮崎県北支部総会開催報告

 温山会宮崎県北支部総会が2月21日(日)宮崎県延岡市の活魚料理「多賀田」で開催された。
司会の白石良盛事務局長(大26)の自己紹介・開会の辞の後、総会・懇親会が行われた。

【支部長あいさつ】

【柳田支部長あいさつ】

 柳田卓男支部長(大21)より、「今日は日曜日でいろいろ用事もあったことと思いますが初めての方、久々の方を含む多数の皆様に集まっていただきました。17名もの多くの方の参加で温山会支部総会が開催できることとても嬉しく思います。また、大学より西原友昭常務理事・事務局長、温山会本部より興梠安会長、林格専務理事の3名の方に来ていただきありがとうございます。高速道もなく宮崎まで大変遠い、橋ができるといいのですがいずれ架かるのではないかと思う。次回もよろしくお願い致します。毎年開催していますが、一番中心になって運営に関わるべき年代が古希近くになった。毎回同じメンバーで集まるのもどんなものだろうかとの意見もあるし悩んでいた。5月の総会に出たときに温山会の会長さんや元会長さんが年を取られても皆さんとても元気。私は若手の方で多くの先輩が元気よく参加されており、それに感化され我々も毎年一回は集まって、昔話を交えて交流することが若返りのいい機会になるのではないかと思う。この会も継続していきたいので皆様方も是非仲間に呼びかけて参加してください。今日はゴルフの大会もあり宮崎からも来ていただいており、皆さんに迷惑をお掛けしないように最後は全員パーにして上がってきました。今日はゆったりとお話をいただきたいと思います」との挨拶があった。また「温山会創立90周年が来年に控えている。そこで『未来募金』を各支部にお願いしているということで、会計とも相談し宮崎県北支部として会費からまとめて1万円の寄付をしたらと思うので了解をいただきたい」との報告があった。

【西原常務理事】

【松山大学西原常務理事】

 村上宏之理事長・学長代理の西原友昭常務理事・事務局長から総会開催のお祝いと大学の近況が報告された。「現在5学部6学科と5大学院。短期大学を擁する総合大学となっている。約6,000名の学生が在籍している。入学試験も予定通り無事終了し、受験人口減の時代に入ったが受験者も昨年度並みである。今年4月には旧南海放送跡地に樋又キャンパスがオープン予定だ。地域社会における『集いと交流・知の空間』をコンセプトに現在1号館ゼミ教室、3号館教室・研究センター、キャリアセンター・社会連携室が移転する予定だ。ソーシャルコモンズという空間を設け、ITを活用したグループ学習や地域連携活動に使用する予定で、レストランやカフェも併設予定だ。来学の折には是非見学しご利用いただきたい」

【樋又新キャンパス】

【樋又新キャンパス】

「課外活動においては、全国大学レベルで女子駅伝部が10月に開催された『第33回大学女子駅伝大会』で過去最高に並ぶ3位で2年振りに入賞し、6年連続シード権を獲得した。また、富士山女子駅伝でも3位入賞できた。ご声援頂いたことに感謝をしたい。この他ソフトテニス部男女団体、硬式テニス部男女個人と男子団体、軟式野球部、バドミントン部男女団体、柔道部・剣道部弓道部が団体や個人で全国大会に出場。文化系サークルでは落語研究部が、全国大学お笑い選手権大会D-1グランプリで見事団体優勝した。

 2023年には松山大学が100周年を迎える。今後も地域における高等教育の拠点として卒業生・大学生の誇りの持てる学びの場としての基盤と体制を整えるつもりだ。今後ともご指導・ご支援、ご鞭撻をお願いしたい。今後も温山会と緊密な協力関係を築いていきたいと思う。終わりに温山会宮崎県北支部の皆様の益々の発展、健康ご多幸を祈念したい」と挨拶があった。

【興梠会長あいさつ】

【興梠会長あいさつ】

 興梠安会長(大19)より「日程調整では上浮穴・岡山・宮崎県北支部と総会が重なり大変ご迷惑をお掛けしました。父親が高千穂の出身であり故郷への思いが強くできるものなら出席をしたいと無理なお願いをし叶えて頂いた。誠にありがたく心よりお礼申し上げます。色々なご縁があり、めでたい席にお招きいただきとても名誉なこと。今夜の支部総会には17名の参加を得て開催できること大変ありがたい。
 温山会のトピックスとして、2015年5月5日の総会以来、全国各地の支部総会にお招きいただいた。100%出席できたわけではないが、今日は22支部目の総会になる。職域支部で、有師寮の40周年記念OB会が実施され出席した。南溟寮が時代と共に変わり松山大学の法学部の建物となった。現在は木造だった有師寮が鉄筋コンクリートの立派な寮リニューアルされた。また、44番目の支部としてニューヨーク支部が立ち上げられグローバル化しており、女性支部長を中心に若手メンバー5名(女性3名、男性2名)で活動し頑張っている。43番目の支部の沖縄支部総会が2月6日に開催されたが残念ながら出席できなかった。また、平成27年5月の総会で承認された林専務理事と全国の支部総会への参加をしている。松山大学が2013年に90周年を迎え遅れる事4年、いよいよ2017年1月には松山大学温山会が創立90周年を迎える。本部の中に三つの小委員会を立ち上げて、100年を見据えた上で線香花火に終わらないように90年目に何をすべきか検討をしており、決定すればお知らせしたいと思う。そのプレイベントとして、2016年1月21日に第13代今井琉璃男会長、第14代麻生俊介会長、第16代野本武男会長と私の4名の会長経験者が『過去・現在・未来』をテーマにパネルディスカッションを行い、今後の『松山大学や温山会のありよう』を話し合った。近々ホームページにもアップできると思うので是非ご覧いただきたい。また、機会があれば第二の故郷松山に是非来ていただきたい。

 最後に、就任時の温山会報の巻頭言のように「三つ(学生や教職員・支部と本部・地域)の貢献」として取り組んでいる。「一つ目は、現役の学生や大学教職員への貢献。後方支援としてどう関わることが出来るかということ。二つ目は、42支部と本部、支部と支部との連携をどう図るかということ。最後が地域への貢献。本部では、松山大学で長年取り組んでいるマイロード清掃運動(松山大学周辺)をタイアップ事業とし、7月と10月に実施され、10月10日(土)には、第2回目のマイロード清掃活動が実施され、現役学生や温山会員とその家族が、朝の清々しい時間に爽やかな汗を流してボランティア活動に参加してきた。宮崎県北支部の皆様にもそれぞれの地域に関わっていただき『松山大学ここにあり、温山会ここにあり』を皆様と共に鼓舞していただきたいと思っているのでよろしくお願いしたい」との挨拶があった。
 温山会林専務理事から、「2015年5月から縁あって温山会の仕事をさせて頂いている。新米ですがよろしくお願いします。今日の会は会長さんがどうしても参加したいという事で日程調整をお願いしたところ、希望を実現してもらった。今日の支部総会は上浮穴支部・岡山支部に続いて3連続の会。一番元気なのは興梠会長、とにかくタフ、興梠会長の熱い思いに応えていただいたお蔭で宮崎県北支部総会に参加できた。2017年1月8日には温山会創立90年目を迎える。お手元の松大バッジのような松山大学への思い、仲間への思いを込められたグッズも準備したい。そのために、『未来募金』を通じて皆様の気持ちを高め手づくり感のある90年にしていきたいということで90周年にちなんで90万円を目標に寄付もお願いしている。 インターネットの検索画面で『温山会』と入れてもらうと、全国各支部の総会予定や開催報告、学生の活躍の様子や大学のトピックス等の情報を見ることが出来る。近々では沖縄支部や防府支部の様子を見ることが出来る。遠く離れた同級生や先輩・後輩の姿をHPを通じて見ることが出来るかもしれません。是非見て頂きたい。温山会館にも是非おいでください」との挨拶があった。

 初参加の大学24回の堀江信之氏(大24)の挨拶の後、27年事業・会計報告があり承認された。続いて、温山会『未来募金』が柳田支部長から興梠会長へ寄贈された。(誠にありがとうございました。)支部総会の会場については予算・場所等々考えた結果、今後も今日の会場で支部総会を行うこととなった。
 また、欠席の大平哲義氏(大22)から焼酎のプレゼントがあり紹介された。懇親会は大間前支部長から「宮崎県人初の会長、興梠会長をお迎えしました。おめでとうございます。3名の方々に来ていただいた。ありがとうございます。来年の温山会創立90周年と第17回になる宮崎県北支部の益々の発展を祈念して乾杯!」と声高らかに懇親会が始まった。

 柳田支部長の挨拶にもあったように会場の「多賀田」は魚がとても新鮮で、出てくる料理がとにかく美味しい。どんどんとお酒がすすみ話もどんどんと弾む中近況報告が始まった。
 泣くに泣けない、名言・迷言。珍言・危言・奇言等々言いたい放題?の掛け合いの報告会となった。「現在週4回のテニスと95歳の母親と生活をともにする先輩は元神森(レジェンドで大盛り上がり)ゼミ所属」「お花の先生をしている奥様、名補佐役で洗濯、皿洗い等の主夫業を愛し花(延岡花物語:菜の花と河津桜300本)をこよなく愛し、山を愛する先輩、弓道経験者で最後はワンダーフォーゲル部。山と奥様に魅せられ松山に5・6年間」「先輩よりやや長めに2年間弓道部在籍。卒業した時は日本伝拳法道。商大拳法道。日頃は仕事をする風。休みの日は努めて日頃迷惑を掛けている最愛の奥様ために、皿洗い・洗濯」「クラブ仲間の墓参り川之江に。JR松山駅で城を見ようと思ったが、昔どこからでも見られた城は見えず。年賀状に『松山や 秋より高き 天守閣』と書いて友に送った。すると・・・おまえはすごい文才だなあと感心された」「富士山女子駅伝を見て全国で3位嬉しかった。7・8年前に弓道部女子(2013年8月3日)が優勝した。4年間自分も弓道部だった。現役学生も頑張ってくれると我々も嬉しい」

 「北京町ファンで皆勤賞をとった?ことも。今は地元でまじめに頑張って会社経営している。母は不肖の息子と松山のことを良くは思っていない。松山には愛着があり、仲良く過ごしている家内と松山道後温泉でゆっくり過ごしたい」「学校に行くよりも北京町へよく行ったような気がする。北京町から単位をもらえるよ!の声も」「長男が東京より戻って一緒に仕事。卒業できたのは先輩のお蔭!体重維持での苦労あり」「余命2・3ヶ月と言われたが意外と元気な親父。介護の大変さを痛感・実感。運動・ゴルフで息抜き」「腰痛で苦労している。ドクター支援を受けて1年で11kg痩せる。血糖値、血圧正常に。タバコも20→5・6本程度へ」「毎年松山へ行っている。商大のマドンナがお☆△◇・・・に変身してしまうし年を感じる。周りに亡くなっていく人も多く同級生も4人亡くなった。年金の元を取る!70歳まで頑張る」「県職員として延岡に勤務も4回。4年生の時に人文学部が出来、女子学生が増えたときで、卒業しても心残りだった。大学もバンカラなイメージから変わってきた」「親子二代に渡っての松大(経専と商大)ボーイ。父は弓道4段、その賞状には東條英機の名が。父に続けとばかりに入部。しかし、弓道部のはずなのに、巻き藁外しの名人?巻き藁を外し天空を射抜く。転向して将棋で勝負し見事5段。ゴルフ歴20年。ショートホールでホールインワンとおもいきや、隣のミドルホールにホールインワンだった。パー3のホールで21打の記録もあり」「「HPに投稿希望者。どんどんお願いします。樋又新キャンパスは道後温泉にキャンパスが出来るのかと思った。父が松山に行きたがった。硬派が多かったが私はナンパで通った!大学に行かなくても女子学生にノートを借りて勉強。1ヶ月の風呂代30円(お風呂屋さんの2階に下宿)風呂上りのコーヒー牛乳付き。フォークダンスが盛んで、広島大学等での大会に出場。まだ早いなあと思いながら卒業した。ソフトウエア開発の会社。入社の頃は社員が80人から260人の会社に。2015年から市ヶ谷に念願の東京事務所立ち上げ。海外にも・・・」「ワルで元気があり過ぎて高等学校時代の先生に勧められラグビーを始めた」「神森ゼミ所属、祖父母が大洲市上須戒出身ということで松山商大を選んだ。大学はバレーボールと酒とダンスを頑張った。東京から25歳で延岡帰り。30年間酒屋。最後から3番目で延岡市議当選。皆さん応援を!父の介護中」「大学5年経験者の金言をいただき勇気百倍

 二次会にはほとんどの方が参加しカラオケ(ここは松山 松山 恋の街 二番町 ♪ ♬…♪♫)を歌いながらの交流はエンドレス気分?!南国九州の夜はあっという間に更けていった。現地の皆様には極めて失礼ではありましたが、大学代表選手として事務局長のみ残留し会長と林は一足先に失礼することになりました。会長曰く「後ろ髪もないけど後ろ髪引かれる思いよ!」

【あとがき】昨夜大間先輩から伺った話の中で、五ヶ瀬川沿いの“河津桜と菜の花”祭り(2月27・28日)の話を聞いて花を見たくなり、翌朝6時前にホテルを出て五ヶ瀬川を上流に向かって遡った。昨夜の話では500m位かなと言われ歩き始めたが、行けども行けども花は無し、出発の時間の関係から諦めて帰ろうとしたそのとき、対岸に黄色の花?川下の橋まで戻りやっと目指した花の場所に行き合うことが出来た。先輩が言われた通り鮮やかなピンクのまさしく河津桜!(オオシマサクラとヒカンサクラのハーフ)そして、黄色の菜の花の絨毯!が優しく人を包み込んでくれると思います。そして、本場の静岡県河津町や南伊豆町のような名所に育っていくことと思います。2月28日(日)HPの原稿を仕上げながら“延岡花物語”での先輩方の笑顔が浮かんできました。  
 延岡での5月の『第27回ゴールデンゲームズinのべおか』に女子駅伝部が出場します。今年も応援をお願い致します。

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